ヨガと禅の意外な関係!ヨガは身近に存在する
遠くインドで生まれたヨガの歴史をたどってみると、その流れは日本にまで到達しています。日本人はヨガ的な考え方を理解しやいと言われていますが、その理由は身近なところにヨガが存在していたからなのです。
日本には禅というものがある
昔の記憶をたどってみると、教科書には鎌倉時代に栄西(ようさい)という人物が、中国に渡り禅宗を日本へ持ち帰り、臨済宗を開いたと書いてありました。
また同じ鎌倉時代に中国に渡った道元も、曹洞宗を開き道元禅師と呼ばれています。このように日本に禅が伝わったのは、およそ鎌倉時代のようです。その後、禅の教えが全国に広がり、禅寺では現在でも坐禅会などが行われています。
この「禅」というものは歴史をもっともっとさかのぼると古代インドに結びつき、そこではヨガとも密接にかかわりあっているのです。
ヨガブームで火がついた禅の言葉
近年、世界中でヨガのブームが起こっていますが、日本では同時に「禅の言葉」も大流行しています。それはヨガと禅の教えがとても似ているものだからです。
ヨガ=禅という考え方は、正しいとも言え、違うとも言えます。しかし両者の教えは共通点が多いのも事実です。
例えば、京都の龍安寺の庭にある有名な手水鉢に「吾唯知足」禅の言葉が刻まれています。自分が満たされているということを実感しているという意味ですが、一般的には「知足」(ちそく)として知られています。
これはヨガの経典「ヨガスートラ」にも出てくるもので、ヨガではサントーシャ(知足)と呼ばれています。
坐禅を行う若者が増えている
以前は宗教的な色が強かった坐禅ですが、最近は多くの若者が禅寺を訪れ、気軽に坐禅を行っています。
実はヨガを始めてから「禅」に興味を持ち学んでいるという人が多いのです。すべてのものからの解脱を目指すヨガ、「無」の境地を目指す禅、この両者にはお互いをひも解くカギがあるのかもしれません。
ヨガと禅の結びつき
ヨガというものの歴史は古く、古代インダス文明までさかのぼります。その後インドではバラモン教、ヒンドゥー教、仏教などの宗教が生まれます。
インドで生まれたこれらの宗教の基盤には、もともとあった「ヨガ哲学」というものが組み込まれていったのです。必然的に仏教の1つである禅宗にも、ヨガの教えが組み込まれていきました。
インドの神様が日本にいる
ヨガの歴史に興味のある人なら、1度はその名を聞いたことがある「インドの神サラスヴァディー(女神)」日本に渡り、現在では「弁財天」と呼ばれています。
そしてヨガの神様と呼ぶ人もいる「シヴァ(最強の神)」は大黒天として日本人に親しまれています。
ヨガとは少し離れてしまいますが、そのほかにもガネーシャを起源に持つ歓喜天(聖天)などが存在します。
禅問答はヨガの心
古くから日本人に愛されてきた「禅問答」ですが、実はその中にもヨガとの結びつきがあるのです。
「瓢鮎図(ひょうねんず)」に描かれている有名な禅問答を紹介します。「捕まえにくいなまずを、瓢箪(ひょうたん)で捕まえられるか」
あなたはどう捕まえますか?その答えを当時の将軍義持は、高僧31人に解かせました。それぞれ答えは違います。しかし、実はこの問いかけには、これといった確実な答えはないのです。
大切なのはまさに答えがないこと。
自分の常識や思考回路を破っていくのが禅問答というわけです。全てのものにとらわれない心をつくっていく姿は、まるでヨガそのもののような気がします。
ヨガの教えと仏教の戒律
2世紀から4世紀ごろに、パタンジャリによって編纂されたヨガの経典「ヨガスートラ」と「仏教の五戒」にはとても似ている教えがあります。両者を比べてみると、同じ流れであることがわかります。
ヨガスートラの第一章、ヤマ(やってはいけない事)の内容は5つ
1.アヒムサ(非暴力、不殺生)
2.サティヤ(嘘をつかない)
3.アスティヤ(盗んではいけない)
4.ブラフマチャリヤ(禁欲)
5.アパリグラハ(必要以上に物を求めない)
仏教者が守るべきもの「五戒」
1.不殺生ふせっしょう(殺してはいけない)
2.不偸盗ふちゅうとう(盗んではいけない)
3.不邪婬ふじゃいん(不倫をしてはいけない)
4.不妄語ふもうご(嘘をつかない)
5.不飲酒ふいんしゅ(禁酒)
経験こそが知識である
ヨガでも禅でも、自分の経験した本物の体験こそが知識であると教えています。
人から聞いた話、テレビで得た情報は、自分が知っていることとは違うのです。物事は自分が経験し真実を知らなくてはなりません。
現代ヨガはスポーツとしてのヨガに偏りつつあります。もちろん悪い事ではありませんが、ヨガの本質を見失いそうになったら、一度立ち止まり「禅」の中に身をおいてみるというのもいいかもしれません。